劇団結成の経緯
1983年、広告会社・博報堂のコピーライターだった鈴木聡を中心に早稲田大学の「演劇集団てあとろ50’」出身のメンバーが集まり「サラリーマン新劇喇叭屋」を結成。1984年11月、旗揚げ公演『ジャズと拳銃』を高田馬場の東芸劇場にて上演。以来30年間で40本、鈴木聡による作・演出のオリジナル作品を上演している。旗揚げより3年間は東芸劇場を、その後1987年より2006年までは新宿のシアタートップスを、現在では紀伊國屋ホールをホームグラウンドとしている。2006年からは北九州芸術劇場での公演も毎年行っている。近作の動員数は約5,000人。
劇団名の由来
「サラリーマン新劇喇叭屋」という名の由来は、
旗揚げ当時は劇団員のほとんどがサラリーマンであった。
サラリーマンの観客にアピールしたかった。
シャレで、当時政界に進出中の「サラリーマン新党」にひっかけた。
「喇叭屋」は、主宰の鈴木聡がジャズ好きで高校時代に通いつめた国立市のジャズ喫茶「喇叭」から勝手にいただいた。
こうして「サラリーマン新劇喇叭屋」という長い名前が生まれたが、〝喇叭という字が難しくて読めない〟というご指摘も多々あり、さらに沢山のお客様に知っていただきたい観にきていただきたい、という思いから、1993年の第15回公演『サクラパパオー』より「ラッパ屋」と改名した。
劇団の特色
旗揚げ当時は鈴木聡を含めメンバーのほぼ全員がサラリーマンだったこともあり、サラリーマン観客層の開拓を目指した。「大人が楽しめる芝居づくり」を標榜し、いつのまにか小劇場の客席には珍しく多数のサラリーマン男性客が定着した。現在では、演劇ビギナー、演劇マニア、OL、主婦、業界人、小市民など幅広い層へと広がり「おまぬけなコメディだがキュンときてズンとくる」と支持されている。
鈴木聡は演劇、映画、テレビドラマから新作落語まで幅広く執筆、喜劇作家として高い評価を受けている。俳優たちも多方面でバイプレーヤーとして活躍中。俳優を本業とするメンバーたちの中で、現在もなお3名のサラリーマンが在籍している。創立当時と同様各々が自分のスタンスで参加できる集団であることは変わらず、上質な喜劇を創り続けることを目指している。
劇団構成メンバー
[ 主宰・脚本・演出 ]
1名 鈴木聡
[ 俳優 ]
14名(男優10名・女優4名)
熊川隆一、福本伸一、大草理乙子、おかやまはじめ、宇納佑、木村靖司、弘中麻紀、三鴨絵里子、岩本淳、武藤直樹、俵木藤汰、岩橋道子、中野順一朗、浦川拓海(入団順)
[ 制作 ]
3名
合計:18名