劇団ラッパ屋

大草理乙子『理乙子♡温故知新』

超緊張しぃ~なんよ

2023.11.08

 先日、友人との会話の中で「記憶って、何歳頃からある?」という話になった。
 友人は中学以降からだと言う。
 「小学校の記憶とか無いんだよね。」
 『エッ!全然無いの?!』
 「うん。全然。」
 『私、幼稚園の記憶、いくつかあるよ。』
 「へえ~。。。私全然覚えてない。」
 『なんで~?』
 「覚えてないから分からない。」
 『・・・。』そりゃそうだ(-_-)
 『今思うと私、幼稚園も小学校も、ズーーっと緊張していた気がする。』
 「エーッ?!!!」

 そうなんよ。小さい頃はとにかく緊張していた。
 今でも基本は人見知り、小心者、心配性、緊張しい(-_-)
 な・ん・だ・けど、いろんな事に興味があるので、時々強行突破する。
 なので、周りの人には、そんなに緊張してるって思われない(-_-;)

 <幼稚園の記憶>
 まず、緊張を意識したのが5歳! 言い切るねぇ(^^)
 何せ人生の社会デビューみたいなもんだからね。
 評判の良い制服は、名前が刺繍されたハンカチを胸に付け、とても可愛くて嬉しかった。最初の制服ってピカピカするけど緊張もするんだよね。それを初々しいと言うのかしらん。

 最初の数日は、母親に送ってもらっていたが、すぐに近所の子と二人で登園するようになった。帰りは、しばらく先生に引率され集団で。
 その内、方向の同じ子と帰るようになり、道ばたの草や花に、虫や猫に気を取られながら、緊張もあるけど冒険みたいで楽しかった。

 絶対に寄り道してはいけないと、きつく言われていたのに、ある日、誘惑に負けて大冒険してしまったことがあった。これはちょっと大事になってしまい、次の日の朝礼で名前は伏せられたが、その件と今後の注意についての話があった。もちろん、すぐに自分のことだと分かったので、真っ赤になり、組の中で一番小さい体がより縮まって、心臓の音が全身に響いた。その時の感じは、今でも苦しくなる思い出である。

 PS:
 楽しみであるはずの運動会というイベントの記憶が全くない。母に尋ねたら、
 「あんた、熱出して休んだのよ!」
 『・・・。』まさに知恵熱。

 <小学校 入学式の日>
 さすがに、みんな緊張するでしょう! ネェ(^_^)v
 6歳!
 体重11kg!!(本当ッス!身体測定の用紙確認済み。因みに3年生の時は19kg、中学1年生で28kg。)軽~~。身体が小さいこともあって緊張がマシマシなのかも。

 この日で記憶していることは、“お汁粉”!!!
 入学祝いということで、1年生にはお祝いとして“お汁粉”が振る舞われた。
 いやぁ~~困ったぞぉ~~(>_<)
 私は甘い物が苦手! 特にあんこ系がダメ!
 この頃はチョコレートやケーキとかもダメだったなぁ。お土産とでチョコとかもらうとホント困った。苦手とは言えず、一応「ありがとう。」とは言うんだけど顔が喜んでいない。(私、「ありがとう」が上手くできないのは、このせいか?!)

 さぁ、どうしよう?!どうするよ!!!(ToT)
 “お汁粉”というより“ぜんざい”!? なおさらダメだ!
 目の前に置かれたお椀をジィーっと見つめながら頭の中がグルグル回り始め、冷や汗が流れる。
 小豆の汁だけだったら頑張って飲む、、、ってことができるかもしれないが、“ぜんざい”は豆粒が入っているから噛まなければならないよね。。。
 飲み込めないかも。。(゚Д゚;)
 も、餅は食べられるかもしれない・・・(。・・)
 グルグル・・・グルグル・・・(@_@)

 あまりの衝撃度で、どう対処したかは記憶が無い!

 <小学校 前半>
 成績は悪くないんだけど、手を上げることがずっとできなかった。たまに、先生と目が合って刺されてしまうことがあると、正解を答えられたものの、耳まで真っ赤になって隣の子に「真っ赤だよ。大丈夫?」と言われ、チャイムが鳴るまで固まっていた。

 虚弱で運動神経も悪かったので、体育の成績は“1”。
 あの頃は、運動ができると人気者になれる時代。
 でもいじめられたような記憶もないし、友達もできて学校は好きだったのだが、何となしに危機感なのか、緊張感があったような気がする。

 4年生になる時、クラス替えがあった。1年の時に仲良くなり、お互いの家でご飯を食べたり、うちにもよく泊まったりする、いつも一緒の親友がいた。
 『クラスが替わっても、ずっと親友だよねぇ♥』と、関係は変わらないと思っていた。ある日、彼女に放課後呼び出された。『何、何、なに♪(^^)』といつものように行ったら、そこには彼女と3人の子がいて、「もうクラスが違うんだから、あまり○○ちゃんと仲良くしないで!」と言われた。
 『・・・。』へっ?! つか、あんた誰?(この時のキャスティングが見事なバランスだったなぁ。でっかい子を真ん中に、両側半歩後ろに子分面の2人)
 何が何だか理解できず、親友であるはずの彼女を見ると、後ろに隠れるように立っている。で、彼女に話しかけようとしたら、3人に遮られた。
 彼女からは一言もなかった。
 あの時の困ったような彼女の表情が忘れられない。

 まぁこの時のショックたるや。言葉にならない。
 絶望感に打ちひしがれ、暫くすると怒りがこみ上げてき。。。
 何があったの!? 私に何が起こったの?!
 “クエスチョン”と“エクスクラメーション”が頭の中で、
 グルグル・・・グルグル・・・(@_@)

 後に“親友”というワードは私の中でトラウマになりました。とさ♪

 <小学校 後半>
 給食は緊張の一つであることに変わりは無かったが、ラッキーだったのは、「嫌いなものは残しても良いよ。」と言ってくれる、好き嫌いのある担任だった。ホント助かったぁ。でも脱脂粉乳&牛乳は飲まなければならなかった(>_<)

 友達は興味毎のグループ付き合いになって楽しかった。徒党を組まないように気を遣っていた気がする。
 運動オンチは相変わらずで、ドッチボールは緊張の遊びだった。強い子2人がジャンケンをして自分のチームに欲しい子を選んでいくのだが、下手な子は中々選ばれずドキドキしながら待つ。私はボールをキャッチできないので、もちろん戦力にはならないのだが、ちっちゃくてコマネズミのようにすばしっこいので、最後まで逃げ残れるという技術で選ばれる。フフフ(^_^)v

 運動が苦手というコンプレックスは、将来に不安を落とす。
 ということで、なんとかせなあかん、いつか変身しなければいけないと思い、考えた。かなり考えた。
 タイミングは、中学生になる時だ!この機を逃してはいけない!
 中学には部活動というものがある。これだ!!
 絶対に運動部に入ること!
 モチベーションは上がったが、具体的にどうするか?

 春休みの期間、各部が新入生を対象にデモンストレーション練習をするらしいという情報を得、早速バレーボール部に参加してみる。初めて触るボール。指でこのボールを弾くなんて無理。レシーブの練習をしたが、痛いし、腕が内出血紫色に。
 諦める。
 次にバスケットボール部。ボールがデカい、重い。投げても届かないけど、ワンバウンドしてもOK♪ドリブルは毬突きの進化形?♪
 大丈夫かも?♪
 『お母さん、バスケットボール部に入る!』
 「エー!大丈夫なの?」
 『分かんないけど。たぶん。。。』

 個人的に朝、近所の神社の境内で自主練したり、頑張ったよーー(^o^)
 3年間、続けたよーーー(^o^)
 すると、体重が42kgに!
 体育の成績は、3年間“4”に!!
 普通の健康体になったのだった。変身できたのだった。
 私は、やればできる子!

 そして、36年前。
 最も緊張する世界に飛び込んでしまった!
 それはもう日常では味わえない、尋常じゃない緊張!
 そのためか、そこから離れた時の開放感で、普段の生活がこんなにもグダグダ・ぼけぼけ・・・。これっていいのかしらん?!

大草理乙子

大草 理乙子 プロフィール

おおくさ・りつこ
東京都出身。1月14日生まれ。O型。
1987年、ラッパ屋に入団、第6回公演『星空のチャーリーパーカー』より出演。
近年の主な出演作に、
【映画】『ミドリムシの姫』【ドラマ】『恋なんて、本気でやってどうするの?』(KTV)
【ラジオドラマ】『「リンレイプレゼンツ 三丁目バス停前の珈琲店』(TBS)など。

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