キャスト
- 律子
- 大草理乙子
- 美也子
- 和田都
- 春子
- 篠崎はるく(客演)
- 一郎
- 熊川隆一
- キコ
- 溝口直子
- パオ
- 福本伸一
- 朝利
- 義若泰祐
- 鳳
- 早川晃子
- 久米ほか
- 竹内義明
- 花岡ほか
- 岡山一
- 木島ほか
- 木村靖司
- 松枝ほか
- 平野裕美
- 美恵ほか
- 深澤美恵
- 伊藤ほか
- 平田恵子
- 武井ほか
- 武隈繁美
- 佐山ほか
- 佐々木一美
- パニックほか
- 与儀省司
スタッフ
- 作・演出
- 鈴木聡
- 美術
- 枡岡秀樹
(ウエストコート)
- 照明
- 板谷静男
- 音響
- 祇園幸雄
- 舞台監督
- 村岡晋
- 宣伝美術
- 加藤法子
- 協力
- 演劇集団キャラメルボックス
- 制作協力
- 加藤昌史・佐々木直美
(ネビュラプロジェクト)
山家かおり
- 制作
- 喇叭屋制作部
- 企画・製作
- サラリーマン新劇喇叭屋
BOKURAが世界を食べつくす
その怪獣がハッキリと姿を見せはじめてから7、8年が経つだろうか。どうもグルメブームが囁かれだす前後のことだった気がする。ともかくBOKURAという大怪獣が、いきなり世界をムシャムシャ食べ始めたのだ。お皿の上のメニューばかりではない。ファッションや音楽や文学や街中のあらゆるお店を始め、「恋愛」や「人類愛」などというスピリチュアルなものから、ついには「参院選」や「東西問題」などの政治までも。最近ではその食欲はますます旺盛になり、最新のディスコなどは開店3ヵ月で跡形もなく食べつくされてしまうらしい。ドンヨクな胃袋をなだめすかすため広告会社やレコード会社は、次々と新しいキャッチフレーズやメロディを供給し続けるが、そんなものではもうおさまらない。BOKURAは自らギターを手にしバンドを組み、食糧の自給自足体制に突入した。だが自分で生み出すコトバやメロディやノリも、空気中に発した瞬間、アッという間に自分で食べてしまう。この先BOKURAはどうすればいいんだろう。ありとあらゆるモノや概念が骨となり食い散らかされた東京砂漠の真ん中で、BOKURAは途方に暮れている。
「マジカル☆ヒステリー☆ツアー」は、ノストラダムスが用意した20世紀最後のゴチソウ「1999年世界最後の日」を、BOKURAが食べつくそうとするお話である。その旺盛でヒステリックな食べっぷりをご覧いただきたい。
ツアーご出発の前に
正月そうそう恐縮だが、いまや「クリスマスをどう過ごすか」問題は人生の大きなテーマである。ゴージャスでブリリアントなクリスマスを手に入れようと、男どもは夏が終わるとすぐホテルオークラに予約の電話を入れ、ギャルの人たちはお金持ちでダンドリの良さそうな彼チャマを探す。この日に盛り上がれなかった人たちは翌年のクリスマスまで影を背負いひっそり生きて生きて行かねばならない。当然、盛り上がるためにかけるお金も莫大なものになってくる。昨年のデータでいうと「クリスマスに男性に使って欲しい金額は?」という質問に対し「10万円」と答える女の子が一番多かったそうだ。とんでもないが本当である。ふだんからお祭り騒ぎのような毎日だから、クリスマスを特別な一日にするためにはこれぐらいの予算が必要だ、というわけなのですね。
さて90年代が始まった、この10年の中で、今のような平和なニッポンが続くとして、大きく盛り上がりそうな一日はいつだろーか。もちろん、1999年12月31日というのも大騒ぎになりそうだが、忘れてならないのはあのノストラダムス様が大予言した「世界の終わり・・人類滅亡の日」である。予言そのものは「1999年7の月、恐怖の大王が空から降ってくる」と言ったものではっきりした日時を指定していないが、クライマックスを盛り上げるため、きっと分秒まで誰かが決めるにちがいない。その日をめざしてテレビ局は特番を流し、広告会社はイベントを仕組み、雑誌は「最後の一日のゴージャスでブリリアントな過ごし方」の特集を組む。世紀末らしいウサンくさいカリスマなんかも現れるんじゃなかろーか。何しろ「最後の一日」だから「不安感」「恐怖感」「祈る思い」が盛り上がるための重用なポイントだ。ふだんの生活では無い方がいいマイナスの感情や気分までもが、「生活の終わり」というイベントの中では、よりエンジョイするためのエッセンスとして消費されていく。ちょうどいまの僕たちがクリスマス用に、10万円や、スウィートルームや、素敵な恋人を用意して、乗り遅れまいと多少ヒステリックに、涙ぐましい努力をするように、ね。
まあ、そんな光景をバカバカしく展開してみようと思った。盛り上がるためには「参院選」でも「ベルリンの壁」でも「ツトムくん」でもなんでもかんでもナリフリかまわず祭り上げてしまう、僕らの10年後の気持ちが、このお芝居の主人公である。そしてそういう具合に、盛り上がりと興ざめを果てしなく繰り返していった先の、「世界の終わり」さえも終えてしまった後のココロ模様を、ちょっとコワイが、覗いてみようと思ったのだ。