キャスト
- 西島一朗
- おかやまはじめ
- 西島友子
- 弘中麻紀
- 西島順子
- 三鴨絵里子
- 坂白健太
- 中野順一朗
- 横澤徹
- 福本伸一
- 市田亜佐美
- 岩橋道子
- 大垣秀一
- 宇納侑玖
- 村尾登
- 熊川隆一
- 岩見沢哲夫
- 岩本淳
- 宇都宮正剛
- 武藤直樹
- ジュリア
- ジュリ(客演)
- 香西優作
- 木村靖司
- 西島響子
- 大草理乙子
スタッフ
- 作・演出
- 鈴木聡
- 美術
- キヤマ晃二
- 照明
- 佐藤公穂
- 音響
- 島猛
(ステージオフィス)
- 衣裳
- 木村猛志
(衣匠也)
- 演出助手
- 則岡正昭
- 舞台監督
- 村岡晋
山本修司
- 音響操作
- 大久保友紀
(ステージオフィス)
- 舞台監督助手
- 藤林美樹
- 小道具製作
- 酒井詠理佳
- 衣裳製作
- 小原俊博
(衣匠也)
- 衣裳進行
- 伊藤梨絵
(衣匠也)
辻本美香子
- 大道具
- 夢工房
- 小道具
- 高津映画装飾
- 宣伝美術
- 芹沢ケージ
冨宇加淳
- 印刷
- 竹内美術印刷
- 舞台写真撮影
- 木村洋一
- 票券
- 日原国子
- 制作助手
- 荒井伸子
相場未江
- ARTIST MANAGEMENT
- 藤賀事務所
ワンダー・プロダクション
ミーアンドハーコーポレーション
- 当日運営
お手伝いの皆様 - 池田真紀子
伊澤玲子
市野恭子
江畑典和
佐藤裕子
志賀亜喜子
塚原千安紀
鳥山良介
中島まり子
本岡博
物井紀子
- 制作協力
- ミーアンドハーコーポレーション
- 制作・宣伝
- 吉田由紀子
- 制作
- 早川晃子
山家かおり
江口紀子
- 大阪公演主催
- キョードー大阪
- 北九州公演主催
- (財)北九州市芸術文化振興財団
- 北九州公演共催
- 北九州市
北九州市教育委員会
- 企画・製作
- ラッパ屋
「消防署に勤める32歳の女性が、浮気相手の妻の殺害を、インターネットを通じて自称探偵業の男に依頼して金を振り込んだが、いつまでたっても殺してくれないので、あら私、騙されたんじゃないかと心配になって警察に訴えた」というニュースにはほんとうに驚いた。こんな面白い話、僕には思いつかない。もし書いたら「リアリティがないよね」と一笑に付されボツになる気がする。世間には、ファンキーなニュースが溢れている。▶ニュースと言っても「自民大勝」や「阪神優勝」ばかりがニュースではない。「目からウロコが落ちるほど旨い讃岐うどんを食った」や「逆ナンパされた美女が実はオカマだった」など、極めて個人的なニュースもある。▶子供の頃は「ゆうべお祭りの夜店で買ったピンクのヒヨコが今朝になったら死んでいた」という悲しいニュースがあった。高校生の頃は「並んで歩いていたら彼女のほうから腕を組んできた」という甘酸っぱいニュースがあった。▶ニュースが一個もなかった日は少し淋しい。大人になると、同じような毎日が来る日も来る日も続いたりする。だから僕らは一日の終わりにコンビニに寄って、ささやかな「今日のニュース」として、新製品のお茶を買ったりするのかもしれない。人は、ニュースが無ければ生きてゆけない。▶というわけで、こんどのラッパ屋は「あしたのニュース」。日本のどこかの小さな町の、小さなB級新聞社。たぶんそこは世の中で起こるあらゆる出来事の交差点になる。笑いもドラマもたっぷり載せた「あしたのニュース」をお届けしたい。
四十にして惑わず、というのは大嘘だ。僕は四十を超えてますます惑ってばかりいる。思えば三十代前半のころが一番強気だった。僕の意見に反対する人は「ばっかじゃなかろうか」と思っていた。いまは自分が「ばっかじゃなかろうか」と思っている。人や世間を知れば知るほど弱気になるのである。自分が無力で弱い存在に思えるのである。
最近ではラーメンよりタンメンが好きになった。あれもなぜか弱々しい印象の食べ物だ。乳臭いスープと茹でたもやしが、心と体に優しい気がする。ラーメンが体育会系ならタンメンが文化部系。漱石の「それから」の感想などを繊細な言葉で語り合いたい。
松岡正剛さんの「フラジャイル」(ちくま学芸文庫)は「弱さ=フラジリティ」について論じていてとても刺激的だ。この中で松岡さんは「強さは弱さよりエライわけではない」というようなことを言っている。むしろ弱さは複雑だからこそ弱いのであって、強さより繊細で奥が深い、と弱さの味方をしている。心が弱く惑ってばかりの僕には頼もしい意見だ。無理して強くならなくていい、と言われたようで気が楽になる。
「あしたのニュース」には、心の弱い人々が何人も出てくる。弱さゆえ、ズルをし、流され、過ちを犯し、新聞ネタになったりする。その悩みっぷりや迷走ぶりを笑いながら、何かひとつでも細やかに、心に残るものがあれば嬉しい。
ご報告しなければいけないことがある。劇団員・義若泰祐が、二〇〇四年十一月九日、永眠した。享年四十四歳だった。義若もまたフラジャイルな男だった。強面な印象とはちがう、独特の繊細な心を持っていた。僕とは学生時代からの演劇仲間で、当時はよく喧嘩もしたが、結局は文字通り、死ぬまで一緒に芝居をした仲となった。通夜の朝、携帯電話の電源を入れると、無言の留守電メッセージが三件入っていた。シャイな義若らしい別れの挨拶だと思った。この芝居をどこかで見ていたら、あいつらしい独特の方法で感想を伝えて欲しいと思う。